いってらっしゃい、みてらっしゃい

 

※今回長いです

 

People In The Box

Newアルバムをリリースする。

 

その中の1曲「かみさま」が

良すぎるという話。

 

 ◯

 


People In The Box「かみさま」Music Video

 

 

神様とは何者なのか。

例えば祈りを捧げる対象、

助けてくれる存在、

上からいつも見ている者、

亡くなった人がなるもの。

 

ここではその価値観を

「神様論」とするが、

People In The Boxが描いたそれが

私の神様論とあまりに近かったのだ。

 

 

この曲を初めて聴いたのは昨年末、

ZEROツアーの最終日、札幌公演。

一番最後に新曲として演奏されたのが

この「かみさま」だった。

 

この公演を終えて

Vo.の波多野さんは喉を壊した。

ライブ序盤から調子悪そうだな…と

思いながら観ていたものの、

最後の3曲で完全に潰してしまった。

( 終演後、声を出す事も困難になったと

  ツイートしている )

 

しかしその姿が美しかったのだ。

美しいとしか形容できない。

苦しそうにも歌い上げる波多野さんが、

リズム隊2人のストイックな演奏が、

それを後ろから照らす真っ白な照明が、

とにかく神々しかった。

 

 

おはよう  おはよう  今日はいい天気だよ

1日頑張ってね  いってらっしゃい

おはよう  おはよう

美味しい夕食つくって待っているから

いってらっしゃい

 

 

この曲への心地よい違和感は

「“美味しい夕食” というワードから

     微塵も暖かな食卓を想像できない」

というところから始まった。

 

もちろん「美味しいご飯が待ってるから

今日も頑張る」という真っ直ぐな解釈でも

充分に名曲と言える。

 

しかしそう言っているのは

「かみさま」なのだ。

神様と人間が食卓を囲むはずはない。

 

“美味しい夕食” というのは

人生におけるご褒美のようなものでは

ないかと私は思う。

 

“1日” とは24時間のことではなく、

人生の一区切り、ある一定のスパンの

ことではないだろうか。

 

「ご褒美はいつか必ず与えるからね、

 今日も頑張っていってらっしゃい」

 

そう、かみさまはいつだって

付かず離れずの存在なのだ。

以下は私の「神様論」だが、

神様は助けを求めたところで

なんの助言もしてくれないし、

手助けもしてくれない。

 

だけど、突拍子もなく桁外れに

いいことが起こった時、

思わず「神様…」と呟いてしまう。

 

確実に居るけれど、頼りにはできない。

そんな存在。

 

 

かみさまはいつだって優しい嘘をつく

きみの顔を覚えているだとか

きみは大丈夫だとか

困り顔で  予行練習を上から

眺めてるんだろうな

 

 

《神は乗り越えられる試練しか与えない》

という言葉があるけれど、

私はこの言葉大嫌いなんです。

 

なら自ら命を断つ人は

1人もいないっつーのと思ってしまう。

神様は試練も与えないし、手助けもしない。

 

我々の “予行練習を上から眺めてる” に

過ぎないんですよね。

( 何が「本番」であるかはその人による )

 

 ◯

 

ここから先はごく個人的な話になるけど、

私は昨年末にパニック障害と診断された。

まさか、という感じだった。

 

具体的な症状としては、不眠、

動悸、倦怠感、そして、

部屋から出られないということ。

 

パニック=取り乱す、というような

イメージが強いために

まさかこれら症状が

パニック障害に当てはまるとは

思っていなかったし、

いまも半ば信じられていない。

 

しかし。かみさまは今日も、

“いってらっしゃい” と私を見送るのだ。

いったいどこへ?

 

 

かみさまはいつだって優しい嘘をつく

きみは特に優れているとか

きみは報われるだとか

手を伸ばしても空を切る

滑稽な鳥の墜落をみてた

 

 

この冬、3羽の鳥が、

実家の軒先に立て続けに倒れていた。

玄関フードの窓に衝突したと

みられるのだが、全て同じ種で、

特徴から検索したらウソという鳥だった。

日本で越冬するらしい。

 

遥々ロシアからやってきて、

窓に反射した空を眼に映し、

わけもわからず墜落していった様を思うと

どうにもやりきれない。

 

どれだけ頑張ったって

“優れている” と賞賛されるとは限らない。

どれだけ頑張ったって

“報われる” かどうかはわからない。

 

 

いってらっしゃい、みてらっしゃい

かみさまだけが嘘をつく

 

 

神様は残酷だ。

なぜなら我々には

関係のないところに居るからだ。

 

ただし神様像は

個々人のなかにあるもので、

中には「いない」と断言する人も

いるかもしれない。

その考えは誰にも侵されるものではない。

 

繰り返すが、

今回People In The Boxが描いた「神様論」と

私のなかに育まれてきた「神様論」が

あまりにも近かった。

 

先日のLINE LIVE生配信で

この曲を聴いて、観て、

涙を流すほどに深い箇所で共感したのだ。

 

 

1月にして2018年の

《めっちゃ沁みた曲Best3》入りしそうな

1曲と出逢い、それをもうすぐ

家で自由に聴けるようになると思うと、

私はそれだけで「いってらっしゃい」と

背中を押されているような気持ちになる。

People In The Boxという名の

3人の「かみさま」に。

 

ひとまず「Kodomo Rengou」を買う為に

私は外に出ようと思う。

 

 

 

おわり