髪を切った
髪を切った。
ほんとは30cmくらいバッサリいく
つもりだったのだが、美容師さんに
「これ以上切っちゃうと
左側のハネが収まらなくなるけど…」
と言われたので、15cmにとどめた。
家に帰ってから自分で暗めに染めたので
かなり雰囲気が変わった。
いわゆる「イメチェン」である。
母「失恋した…?」
私「してないですね」
美容師さん「何かあったとかではなく?」
私「特に何もないですね」
イメージチェンジ。
自分のなかの「私のイメージ」を変えるため
私は茶髪ロングの自分を当分葬る事にした。
◯
これは最近気づいた事なのだが、
私が好きな小説や映画のなかでは
軒並み人が死ぬ。
私は人の死を比較的
軽く描く作品が好きだ。
例えば効果音を付けるなら
「ふわっ」といった感じで
わりと重要な登場人物が
容易く命を落としてしまう。
ここで誤解のないよう伝えたいのは、
それらの表現が命を軽視しているという
意味では決してない。
むしろ《死》がいかに突然訪れ、
無慈悲なものであるかを真っ当に表すと
そういった表現になるのではないかと
思っているからこそ、好きなのだ。
◯
「神様論」について話したが、
あの記事を読んでくれた恋人が
興味深い事を言っていた。
「神様は “子供みたいなもの” だと思う。
自分勝手だし、飽きっぽいし、
いい人を殺してしまうし」
「お爺さんの姿で描かれるのは、
昔の人が年功序列の考えで
年上のほうが偉いと思い込んでるから」
「子供みたいな神様がいっぱい
群れている状態=子供連合だと思ってた」
◯
なるほど。その考えはなかった。
件の楽曲「かみさま」の中で、神様は、
性別・年齢・性格などはいっさい描かれず
“嘘をつく” ことと “困り顔” をすること、
それくらいしかわからない。
言われてみれば、何人いるかもわからない。
恋人はこの冬、事故で親友を亡くした。
それは神様の気まぐれとしか
言えないものだった。
本人にも周囲にも前触れはなく、
唐突に幕が降ろされる。
◯
けれど神様は、
残酷で無責任でありながら、
絶対的に優しい存在なことに違いはない。
何の根拠もないのだが、あの曲を聴くと
そう思わずにはいられないので、
今日も私は上から眺められて
(もしくは手のひらの上で)
過去の自分と区切りをつけるべく奮闘したり
前に進むために踠いてみたりしている。
北国の春はまだまだ遠いが、
軽くなった首元を温めの風がさらう。