髪を切った

 

髪を切った。

 

ほんとは30cmくらいバッサリいく

つもりだったのだが、美容師さんに

「これ以上切っちゃうと

 左側のハネが収まらなくなるけど…」

と言われたので、15cmにとどめた。

 

家に帰ってから自分で暗めに染めたので

かなり雰囲気が変わった。

いわゆる「イメチェン」である。

 

 

母「失恋した…?」

私「してないですね」

 

美容師さん「何かあったとかではなく?」

私「特に何もないですね」

 

 

イメージチェンジ。

自分のなかの「私のイメージ」を変えるため

私は茶髪ロングの自分を当分葬る事にした。

 

 

これは最近気づいた事なのだが、

私が好きな小説や映画のなかでは

軒並み人が死ぬ。

私は人の死を比較的

軽く描く作品が好きだ。

 

例えば効果音を付けるなら

「ふわっ」といった感じで

わりと重要な登場人物が

容易く命を落としてしまう。

 

ここで誤解のないよう伝えたいのは、

それらの表現が命を軽視しているという

意味では決してない。

むしろ《死》がいかに突然訪れ、

無慈悲なものであるかを真っ当に表すと

そういった表現になるのではないかと

思っているからこそ、好きなのだ。

 

 

前回の記事

「神様論」について話したが、

あの記事を読んでくれた恋人が

興味深い事を言っていた。

 

「神様は “子供みたいなもの” だと思う。

 自分勝手だし、飽きっぽいし、

 いい人を殺してしまうし」

 

「お爺さんの姿で描かれるのは、

 昔の人が年功序列の考えで

 年上のほうが偉いと思い込んでるから」

 

 「子供みたいな神様がいっぱい

  群れている状態=子供連合だと思ってた」

 

 

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なるほど。その考えはなかった。

件の楽曲「かみさま」の中で、神様は、

性別・年齢・性格などはいっさい描かれず

“嘘をつく” ことと “困り顔” をすること、

それくらいしかわからない。

 言われてみれば、何人いるかもわからない。

 

恋人はこの冬、事故で親友を亡くした。

それは神様の気まぐれとしか

言えないものだった。

 

本人にも周囲にも前触れはなく、

唐突に幕が降ろされる。

 

 

けれど神様は、

残酷で無責任でありながら、

絶対的に優しい存在なことに違いはない。

 

何の根拠もないのだが、あの曲を聴くと

そう思わずにはいられないので、

今日も私は上から眺められて

(もしくは手のひらの上で)

過去の自分と区切りをつけるべく奮闘したり

前に進むために踠いてみたりしている。

 

北国の春はまだまだ遠いが、

軽くなった首元を温めの風がさらう。